[長岡 純  便り vol.18]子育ての結果は時差でやってくる〜メロンソーダで思い出した 自分を愛する力

グラスのメロンソーダ
2019年が始まりました。
皆様にとって佳き一年でありますよう、心からお祈り申し上げます。

お正月は親戚の人たちに会う機会でもありますね。
わが家でも大勢の親戚が集まる機会があり、
その時じみじみ思ったことがありました。

皆で食事に入ったお店でのこと…。
親戚の小5の男の子がメロンソーダを注文しました。

シュワシュワーっと音を立てる鮮やかなグリーンの液体を
一口飲んだ彼は、顔をしかめ、すかさず一言
「薬くさくておいしくない。僕はいつものオレンジジュースか野菜ジュースの方がいい。」

はっきりと自己主張する姿のかわいいこと。
健康に育って欲しいと、
できるだけ身体によいナチュラルな食べ物で
育てられてきたのでしょう。
普段は見かけない鮮やかな色に惹かれてメロンソーダを頼んではみたものの、
という所でしょうか…。

それを見て私は、子供たちが小さい頃のわが家を
思い出しました。

当時私も、子ども達には
できるだけオーガニックな食べ物をと
気を配っていました。
あれはいい、これはダメと、
今思えばちょっと行き過ぎた面もあったけど、
それも子どもの健康を思えばこそでもありました。

マクロビオティックを習ったり、
いろいろな講習会にも行きました。
その時得た知識は今でもとても役立っています。

一方で、いろいろな知識を学べば学ぶほど、
私の不安の種も増えたような気もします。

何らかの力を加えれば、いつかその作用が現れるもの。
成長につれて、幼い頃の子育ての結果が
良くも悪くも出始めます。
そう、結果は時差でやってくるんです。

身体によい食べ物をと育てたその結果は、
どんなふうにそれが行われたかにもよるし、
人それぞれでしょう。

それによってどれくらい健康になったかは
測りようがありませんが、
好みや味覚にはその影響があるようです。

大きくなっても、
自然な食べ物を好む人もいるでしょうし、
味覚が繊細に育つ人もいるでしょう。
はたまた小さい頃制限されていた、
ジャンクフードのような食べ物へのあこがれが
強くなる人もいるでしょう。

ほぼ大人になったわが家の子どもたちを見てみると…。

二人とも添加物などの味には敏感で、
そういった食べ物は好きではないようです。
あの親戚の子供のようですね。

そのくせコテコテに添加物の入った
ジャンクなお菓子も食べます。
本人によると、これは子どもの頃食べられなかった
反作用だそうです。
チ〇ルチョコをこよなく愛し、
「20円の幸せ」と呼びます。

コンビニ弁当を食べることもありますが
美味しいとは思わないそうで、
自分達でお弁当を作って持って行きます。

サークルの合宿で1か月間毎日カップ麺を食べ続けたら、
体調を崩し、肌のトラブルが起こりました。
本人はその後しばらく自然な食べ物を摂ることで
リカバリーに努めていました。

あの頃の私は、子ども達の人生に対して
自分が全責任を負っているような気になって、
食べ物一つでも悩みながらの子育てでした。
気負わずもっと肩の力を抜くことができたら、
子育てがずっと楽だったでしょうに。
ま、それも今だから言えることですね。

同じ体に良い食べ物をというのでも、
あれはいいこれはダメというより、
これ美味しいね~、楽しいね~、と、
嬉しくて楽しい経験を一緒に味わうことを
もっとできていたらよかったな、と今は思います。

あとになって気づいたことは、
子どもは自分で自分の人生を創っていく力を持っているということ。
もともと子どもには、
与えられた環境をベースにして
自力で調整していく力が備わっているようです。

親が良いと思う環境を、
あまり無理せずにできる範囲で整えてあげることは
必要だと思いますが、
そこで大切なのは、その子がもともと持っている、
自分らしい人生を創っていく力を信頼することだ
と思います。

親がそこを信じてあげていたら、
多少のぶれがあっても、
いろいろな経験をしながら
次第に本来のその子らしい人なっていきます。

幼い頃親と一緒に味わった、嬉しくて楽しい経験が、
そのプロセスで大切になる、子どもが自分を愛する力、
自己肯定感を支えるのだろうと思います。

[長岡 純 便り No.17] 卒乳

家族の絆 赤ちゃんの手を載せた大人の手
先日、託児ボランティアにお邪魔した先でのこと。

若いお母さんと、
1歳になったばかりのお子さんの、
卒乳の話しになった。

「娘はまだおっぱいから離れられません。
でも、離乳食もちゃんと食べているから、
日に何度かのおっぱいは悪い事じゃないと思うんです。
それに…。」

一息おいて、

「おっぱい卒業されちゃうと私が淋しいし…。
2歳位までに止められたらいいかなって思うんです。」

ゆっくりでいい。
自分のタイミングってあるものね。

標準とか、栄養的に、とかは、
一つの目安に過ぎない。

私も、
赤ちゃんを育てていた頃、
余りにも日ごとの成長が速すぎて、

「願わくば、時間よ止まれ!」
って思った。

おっぱいの時間を、
十分に心と身体で味わい満足する。
正しいも間違いもない。

ミルクも同じ。
触れ合い、こころをかけ、言葉をかけ、
優しく無言の愛を交わす。

授乳はママと赤ちゃんの、
かけがえのない時間。

そこには赤ちゃんの、
一生分の愛と信頼がつまっている。

[長岡 純 便り vol.16]  ある台所の風景

伸びる家族の影


私がこよなく愛する時間、早朝散歩。

朝6時、通りがかりにふと目をやると、
あるお宅の全開の扉越しに、
台所の様子が目に飛び込んできた。

若いお母さんが台所で、
ギュッギュッと力を込めて
小さな水筒の内側を洗っている。
あ、幼稚園に通う息子さんの水筒だな。

その後ろには
1歳と2歳くらいの幼い2人が
おもちゃを取り合っているらしく、
競うようにして大きな声で泣いている。

よくある家族の風景だけど。。。

なんだか心が揺さぶられて、足が止まった。

ヒプノセラピーでよく出て来る風景そのままだ。

さまざまな生きづらさを訴えるクライアントを、
その生きづらさの元となっている場面へと誘導すると、
台所に立つお母さんの後ろ姿を見ている、
幼い頃の自分の視点に入ることがよくある。

そこで、目の前のお母さんの心の内を見てみる。
すると、
お母さんは家族のためにやらなくてはならないことで
いっぱいで、
泣く子に振り向く心の余裕もない。

一方で、子供は
そんなことは知る由もない。

子供の心には、
お母さんを求めても満たされなかった想いや、
応えてもらえなかったという
悲しみやあきらめの気持ちが生まれる。

それは、
自覚のないところで
潜在意識の深みに記憶され、
その人の人生を、
良くも悪くも彩っていく。

今朝のこの一場面が、
あのお母さんや幼い子供達それぞれの人生に
どんな色合いを添えるのかな・・・
そんな想いで私の心はサワサワした。

人生という料理にはこうやって、
好むと好まざるとにかかわらず
塩味や苦みやいろいろなスパイスが足されていく。

人はやがて、
様々な経験を通して、
それらに気づき、または調整しながら、
ちょうど良い味を求めて
人生を熟成させてゆく。


お母さん、お疲れ様。
そして、
子供達それぞれの人生が豊かに彩られますように。

今日も佳い一日を❤️

[長岡 純 便り vol.15] 夏休み中のゆうくんに会った

写真 ゲームをするゆうくん
ゆうくんは、このブログの筆者の一人、
ゆうくんママの6歳の息子さん。

ある用事のため、
ゆうくんママと、友人と、私の3人で会った時のことだ。

用事が済んだ後、
特別支援学校のプールから帰って来る
ゆうくんを待って、
地域の小学校内にある学童保育へ
送っていくことになった。

ゆうくんは自閉症スペクトラム症と診断されている、
恥ずかしそうな笑顔がとってもチャーミングな、
可愛い男の子だ。

ママはゆうくんが、
できるだけ沢山の人と関わることが大切と考えて、
ゆうくんを学童保育に通わせることにしたそうだ。

20分くらいの道のりを、
ゆうくんは左右の大人の手に
ブーラブーラとぶら下がったり、
一緒に走ったりしながら、
ご機嫌でたどる。

「いつもはブーラブーラはやってもらえないから、
今日は特別だね。」
ママが言った。

子育て中のママは忙しい。
私も子育て中、子どもにブーラブーラは
なかなかしてあげられなかったなあ。

ゆうくんにとっても、今日は特別なのだろうな。
ゆうくんのハニカンダような表情の真ん中で、
可愛い二つのお目目がキラキラ輝いている。

ゆうくんと私は並んで走り出した。

「ようし、負けないぞ~、ゆうくん!」 
私が本気で走ると、
ゆうくんも懸命に走る!
私は足がつりそうになる(苦笑)
写真 森の中 水辺の公園

ゆうくんと私の前に、
うっそうとした森の入り口が近づいてきた。

「ゆうくん、ちょっと待って~。」 
私は後ろから声を掛けた。

ゆうくんが立ち止まった。
ゆうくんはこちらの言うことをちゃんとわかっている。

ことばで返事をしなくても、
行動や表情などでちゃんと反応してくれている。

「ゆうくん、この森の中を通るの?」 
私がたずねると、
ゆうくんは後ろを歩いているママの顔に目を移した。

「ママ、いつもここを通るよね?この道でいいよね?」
と確認しているようだ。

そしてママとの無言の確認が取れたらしく、
「こっちだよ」 と言うように、先頭で進み始めた。

そんなゆうくんの後ろ姿は、
意気揚々としているように感じられる。

森へと案内してくれて、ありがとう、ゆうくん。

うっそうとした森の空気は、
ひんやり気持ちいい。

きれいな葉っぱを拾って、
キラキラと降り注ぐ木漏れ日にかざす。

「ゆうくん見て見て!きれいだね~」
一緒に葉っぱをのぞき込む。

子どもの頃に戻ったように遊びながら、
ゆうくんと心が通じ合っているような気がして、
私はとっても幸せな気持ちになった。

心の中が透明になり、静かで優しい時間の中にいる、
そんな不思議な感じになる。

ほどなくして学童保育に到着した。
門を入ったところで、
ゆうくんは立ち止まってしまった。

あれ、今日は学童保育の気分じゃないのかな?
おばちゃん達ともっと一緒にいたいのかな?

そういえば子どもの頃の私は、
珍しい来客があると、
その人が帰ってしまうのが嫌で、
お客様の靴を隠して怒られたっけ(笑)。

そんな気分なのかもしれないね。

中に入ろうとしないゆうくんを心配して、
3年生位の女の子たちが、お部屋から出てきた。

ゆうくんを門のところまで迎えに行こうとしている。
ゆうくんはここでも人気者なんだね。

女の子たちの気持ち、
おばちゃんもわかる気がするよ。

ゆうくんといると、
不思議と幸せな気持ちになるんだよね。

行ってらっしゃい、ゆうくん。
今日も楽しいことが沢山ありますように!

[長岡 純 便り vol.14] 子は親の鏡

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他人を大切にできるようになるには
まず自分を大切にしましょうって
よく言うけど

実際、自分を大切にするって
どういう事なんだろう?

絶賛 自分見直し中 の私は
この頃よく思う。


先日・・・
母の86回目のお誕生日を祝う
イタリアン・レストランでの
身内のささやかな集まりでのこと。

テーブルに置かれた私のワイングラスに
小さな汚れが・・・

それに気づいた我が娘、
すかさず自分のグラスと交換してくれた。
自分が使うという。

手前味噌だけど(笑)
私の子どもにしては
できた娘である。

心優しく
サービス精神もある。

が、一つ気になったことがあり
私は彼女に言った。

私 「ありがとう。でも○○が汚れたグラスを使う必要はないと思うよ。」

すると、こう返ってきた。

娘 「え?だっていつもお母さん自分がそうしているじゃない。
私はそれを真似てるだけだよ。」

あちゃ~っ!!
そうだったのね・・・・・

子は親の鏡。
無意識のうちに親と同じことをしているんだね。

私が何が気になって彼女に言葉をかけたのか?
そのあたりは読者一人一人の中で
考えてみていただけたらと思う。

それにしても
親の皆さま、

良きにつけ悪しきにつけ

自分は子供の無意識にすり込まれる
一番身近なお手本であること、

ゆめゆめお忘れなきように〜


プロフィール

チームなないろのたね

Author:チームなないろのたね
子供の時代から人生の山や谷を経て、3人それぞれの今があります。それぞれの、子供たちとの関わりから紡ぎ出されるブログです。

★ゆうくんママ
目黒区在住
自閉症スペクトラム児の母

★いるか先生
公立中学校の教員 通常学級の担任を経て、現在は特別支援学級の担任をしている。 3歳年下のダウン症の弟がいる。

★長岡純(ながおかますみ)
千葉県柏市在住。 18歳と22歳の娘たちの母。 長女は乳幼児突然死で早逝。ヒプノセラピスト
→ プロフィール詳細(「21世紀共育ラボ」サイトへ移動します。)

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